一 教えたければ、十 知ってないとだめだと思う。 十 教えたければ、やはり 百 知ってないとだめなんだと思う。 |
作っては壊し、作っては壊す。そしてまた 作る。 はて、私は何をやっているのだ? |
表と裏があるというのは、ややこしいことです。 |
ひとりひとりはひねくれていても、 ひねくれた者どうし うまくつながることもある。 |
可能なのか、不可能なのか その見極めが難しい |
初めて芦ヶ原伸之氏の本を読んだのは中学生のときでした。 その本は 今でも 手元にあります。ボロボロになってきましたが。 それ以来、少なからず、というか 多大な影響を受けました。 去る 2004年6月19日、芦ヶ原氏は急逝されたそうです。 ご冥福をお祈り申し上げます。 |
社会の中に我々があるのか、我々の回りに社会があるのか |
どんな抽象も百回唱えれば具体となる |
花曇り、のんべんだらりと、昼寝して、夕げの香りで、日落ちるを知る |
ふとんは幸せのかたまりなのだ (特に冬) |
「縁がなかった」とは不思議な言葉です。 |
よーく、よーく 考えてみたら それは自明なことだと気づいた。 ちょっとまて、自明って何だ |
「一年の計は元旦にあり」 それは 数学的帰納法? |
ついつい 足下を見て歩いてしまうことが多い。 ときには 顔をあげて 自分の歩く先を見なければ。 |
我々には定義する自由と、証明する責任がある。 |
考えた事を説明するより、ついつい次の事を考えてしまう。 |
それが何かを説明するのは難しくても、
美しさは誰にもわかる。 美術って すばらしいのかも。 |
お前は何者なのだ? |
そこに規則はあるのか? |
目をそらさずに、複雑と対峙するのだ。 |
完成形は頭にあるのだ。なのに なかなか完成できないのだ。 |
個々の整合性があれば、全体の整合性がある。 それは 本当か? |
影は楽しい。 |
あれとこれが「同じ」だと気付くことの楽しさ。 |
砂山にトンネルを通すと あんなに楽しいのはなんでだろう? |
自分で自分を等身大に見る事の難しさ。 |
枝豆を食べると 数学的帰納法を思い出す。 |
「数学者は常に幼児に帰る」 (友人の 原田 龍宜氏の原稿から引用) |
その時の値ではなく、その時の微分係数が重要なのである。 |
人は 分解したいという欲求と 組み上げたいという欲求の両方を持っているね |
神ではなく、己と確率論を信じることにしている |
「いい仕事の後に酒を呑む」のか 「うまい酒を呑むために仕事をする」のか |
さまざまな分岐、選択。 今現在の自分は必然なのか、偶然なのか。 |
考える行為は 何ら力学的仕事をしないのに、 たくさん考えると 運動するのと同じくらい腹がへる。 不思議だ。(食いしんぼうより) |
全てのものは 素なものに分解される 人は 何も作りはしない ただ、素なものを結合するだけだ |
定義できるものは全て、数学の対象だと思う。 |
図形(空間)に愛着が湧いてしまう。(9点) |
この世が3次元でよかったな、と思う。 |
紙に書く手と、考える頭が、競争している。(あわてもの) |
捻れたものが大好きだ。(ひねくれもの) |
曲がっていてもいいのだ、つながっていれば。 (酔いどれトポロジスト) |
数学の発展の歴史は 一文字"a"に込める意味の増大の歴史でもある (酔いどれ数学者) |
絶妙な ネジレ具合が たまらない(心の俳句) |
googleでの" hamanaka "の検索で トップ10入りしました! (もちろん言語指定なしで) |