2002年10月の低次元日記

02.10.16

「数学よりも君の事を信じよう」

あらかじめ断っておくが こんな科白を口にしたことはない。
夜中にふと 浮かんだ言葉で ちょっと面白いなと思うのだが
使うあてもなく、たとえるなら 鞘をなくしてしまった小刀のような言葉。
いつか小説や映画をつくるなら 使ってみたい。

さて この科白、聞く人によって ずいぶん印象がちがうだろうな、と思う。

人によっては 論理に対する偏執をもった数学者を思わせるだろうし、
またある人にとっては 論理を超えて信じるべき人の存在に驚嘆するかもしれない。

つまり、上記の科白を聞いて
「なんと『数学』に重きをおくのだろう」と思うか、
「なんと『君』に重きをおくのだろう」と思うかの違いだ。

02.10.17


木曜の夜は クイズミリオネアをみる事が多いのだが、
我が家のミリオネアの楽しみ方は ちょっと変わっている。
問題が出ると 私と家内とそれぞれ 各自のノートパソコンで
検索をかけて 先に答えを 調べた方が勝ちというのが 常である。

しかし私と家内の検索のかけ方は 微妙に違う。

どちらも主にgoogleを使っているのだが、
たとえば
「カフェオレのレは何の意味?」
という問題に対して、

私の検索キーワードは
「カフェオレ フランス語」
なのだが、家内のキーワードは

「カフェオレのレは」

ぐぁ すげー ストレート。。。(笑)

#しかし 彼女のほうが早かったりする。

02.10.31

算数と数学の違い


「役に立つのが算数で 役に立たないのが数学だ」
「え、でも 微積だって 世の中の役に立っていますよ」
「微積なんて 算数だ」

などというジョークでごまかしていたりしますが、
算数と数学の違いとは何でしょう?

中学に入って 文字が現れます。この文字というのが決定的に
算数と数学をわけているのでしょうなぁ。

ちょっと前に 学生が中学校で「文字の導入」の授業を
教育実習の研究授業としてやっているのを見ましたが、
ある問題を 具体的な数について生徒たちに解かせ、
その後にパラメータをnにして解かせ、
ここまでは良かったのですが 最後のまとめのところでムニャムニャ
になってしまったようでした。

#教育実習の授業って こういうことが多いですが。

個々の問題を与えられた数について解くのではなく、
一般のnについて解くとき、
初めて人は 解ではなくアルゴリズムを直視します。
計算ではなく 論理を直視します。
それは 大きな転換です。
例えれば 人が貨幣を持った時、
あるいは 自分の存在の意義を考えることを知った時
に匹敵するくらいの大きなパラダイムシフトです。

そして文字が 数量関係、証明、関数 といった概念に発展するわけですが
その辺のことは 話すのをやめましょう。

上にも書きましたが 教育実習時の学生を見ていると
問題の導入から解決に至るところでは 工夫したり うまいことやっているんですが
いつも 最後の授業のまとめのところが下手です。

それは 例えば文字を使う意義なんて考えなくても 解ければいいじゃん、
という気持が学生にあるからのような気がします。
微分の意義、積分の意義 よりも 計算できること、問題が解けること。

問題の意義、問題を解くことの意義よりも、問題の答え、問題を解くこと。

これでは やっていることは「数学」でも いつまでたっても「算数」です。

02.11.13

営業の電話


研究室にいると、ときどき(っつーか結構頻繁に)
いずこの会社の営業の方から電話がかかってくる。
営業術というのも いろいろあるもので、
時に感心してしまいます。
今日のは また新手だった。

トゥルルルルルルル ガチャ
私「はい、もしもし 濱中です」
営「あ、濱中先生でいらっしゃいますか」
私「はい」
営「私、〒〇※↓の学内担当の****と申します」
私「はい?」
営「え、ですから ごにょごにょの学内担当の****と申します」
私「えーと いま なんとおっしゃいました?」
営「ェィニョゥの学内担当の****と申します」

ここまで聞いて 気づいた。この方、"営業"という言葉のところだけ
わざと 聞き取りにくく くぐもった声で ごにょごにょと 話しているのだ。
「学内担当」という部分は 大変聞き取りやすい。(^-^)

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